馬の羽

英語とフランス語がもっとできたらいいのにね

この世はすべて舞台(「お気に召すまま」)

(「お気に召すまま」第2幕第7場、ジェイクィズの言葉より)

この世はすべて舞台。

男も女もみな役者に過ぎぬ。

退場があって、登場があって、

一人が自分の出番にいろいろな役を演じる。

その幕は七つの時代から成っている。最初は赤ちゃん。

乳母に抱かれて、泣いたり、もどしたり。

それから泣き虫児童。かばんをさげて、

輝く朝の顔をして、かたつむりのように

しぶしぶ学校に通う。それから恋人、

熱く燃える溜め息ついて、嘆きのバラードを

愛しい女の眉に捧げる。それから兵士。

妙な啖呵を並べ立て、豹のような鬚生やし、

名誉を求めて、喧嘩っ早く、

はかなき名声求めるあまり、

大砲に向かって突撃する。それから判事。

鶏肉つまった太鼓腹。ギロリと睨んで、

髭ピンとさせ、ちょいと賢い格言と、

月並みな判例並べ立てりゃ、それだけで

役が務まる。六つ目の時代は、

スリッパを履いた痩せた老いぼれ。

鼻には眼鏡、腰には巾着、

大事にとっておいた若い頃のタイツは、

しなびた脚にぶかぶかで、男らしかった大声も、

甲高い子供の声に逆戻り、ヒューヒューと

笛のように鳴るばかり。そして最後の大詰め、

この波乱に富んだ不思議な歴史の締めくくりは、

二度目の幼児期、完全なる忘却、

歯もなく、目もなく、味もなく、何もなし。

河合祥一郎訳)

 

(from As You Like It, Act II, Scene VII, spoken by Jaques)

All the world’s a stage,
And all the men and women merely players;
They have their exits and their entrances;
And one man in his time plays many parts,
His acts being seven ages. At first the infant,
Mewling and puking in the nurse’s arms;
And then the whining school-boy, with his satchel
And shining morning face, creeping like snail
Unwillingly to school. And then the lover,
Sighing like furnace, with a woeful ballad
Made to his mistress’ eyebrow. Then a soldier,
Full of strange oaths, and bearded like the pard,
Jealous in honour, sudden and quick in quarrel,
Seeking the bubble reputation
Even in the cannon’s mouth. And then the justice,
In fair round belly with good capon lin’d,
With eyes severe and beard of formal cut,
Full of wise saws and modern instances;
And so he plays his part. The sixth age shifts
Into the lean and slipper’d pantaloon,
With spectacles on nose and pouch on side;
His youthful hose, well sav’d, a world too wide
For his shrunk shank; and his big manly voice,
Turning again toward childish treble, pipes
And whistles in his sound. Last scene of all,
That ends this strange eventful history,
Is second childishness and mere oblivion;
Sans teeth, sans eyes, sans taste, sans everything.

 

 

新訳 お気に召すまま (角川文庫)

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蓮實重彦「ジョン・フォード論(序章)」(「文學界」2019年12月号)

私もクエンティン・タランティーノ側の人間だが、蓮實氏の論考を取り上げたい。

 

タランティーノ批判から。

(タグ・ギャラガーは)は「具象化されたモノノナミダ」≪Lacrimae Rerum Materialized≫というヴェルギリウスに想をえた題名の回想録―これまでの記述は、それに多くを負っている―で、この時期のニューヨークに住むものたちの多くは、「フォードを憎悪する道徳的な義務感」≪a moral duty to hate Ford≫を覚えていたと述べている。なぜなら、「フォードの作品は、人種差別、軍国主義、家父長制、愛国主義、感傷主義、絵に描いたような古くささ、図式化された因習主義を祝福しているといわれていたからだ」

(中略)

 いまなおそうした時代遅れの「道徳的な義務感」に囚われているのが、優れた映画作家と呼ばざるをえないクエンティン・タランティーノ Quentin Trantinoであることは、触れておかざるをえない。
 自作の『ジャンゴ 繋がれざる者』(Django Unchained, 2012)をめぐる≪The Root≫誌のインタビューで、タランティーノは、「自分にとって、アメリカ西部劇のヒーローは、間違いなくジョン・フォードではない。ごく控えめにいっても、このおれは彼を憎悪している」と述べている。
(中略)
 タランティーノのこの「暴言」をめぐっては、「フィルム・コメント」≪Film Comment≫誌の2013年5/6月号の「イントレランス」≪Intolerance≫という長いテクストでケント・ジョーンズ Kent Jonesが詳細に批判しているので、それにつけ加えるべきことは何ひとつ存在しない。

 

ストローブがフォードの「天啓」を受けた『アパッチ砦』。

(ヨーク大尉(ジョン・ウエイン)にしてみれば)資質を欠いた無能な指揮官による文字通りの「自殺行為」にほかならず、その愚かな命令によって兵士たちは犬死にしたに等しく、その悲惨な光景に、彼は遠方から望遠鏡でむなしく立ちあうことしかできなかった。
 そうした思いをいだいているにもかかわらず、「そう、まさしくその通りでした」とあからさまな虚言を弄してまでサーズデー中佐の偉大さをいいたてねばならない軍隊という組織の一員である自分自身への深い諦念を、フォードはみごとに描いて見せたとストローブはいいたいのである。だから、その場面は、一部の論者たちが勘違いしたように、ハッピーエンドによる「軍国主義」の賛美などではなく、むしろ悲惨極まりない事態の推移であると彼は確信したのであり、「天啓」とは、まさしくその確信をもたらした画面そのものの力にほかならない。

 

 フォードが描いてみせるヘンリー・フォンダの最期の勇姿は、その「自殺行為」の責任を取ろうとして身がまえる男を賛美しているとまではいえぬにせよ、その人格的な尊厳だけは救おうとするかのような光景だからである。

 

(中略)

 

 ジョン・フォードという監督は、かりにそれが非難さるべき人物だったとして、その最期の一瞬を悲壮な峻厳さで彩ることができるほど、鷹揚かつ寛大な監督なのだ。そもそも『若き日のリンカーン』(Young Mr. Lincoln, 1939)、『怒りの葡萄』(The Grapes of Wrath, 1940)、『荒野の決闘』(My Darling Clementine, 1946)、『逃亡者』(The Fugitive, 1947)などで典型的なフォードの人物を演じさせてきた役者を、ここでたんなる「悪役」として無惨に葬ることなどできるはずもなかったのである。それを、ハリウッド的な「スターシステム」への安易な妥協とすべきとは思えないが、その最期を華麗に彩ることは、監督としてごく当然のことであるはずなのだ。あるいは、ある意味で妥協をも恐れぬ大胆かついい加減な映画監督が彼だといってもよい。その点で、フォードは、批判さるべき階級に属する人間たちでさえ魅力的に描ききってしまった『ゲームの規則』(La Règle du Jeu, 1939)のジャン・ルノワールのように、すべてを抱合する非=排他的で鷹揚な映画作家だといえるかも知れない。

 

 とまあ蓮實重彦はフォードを擁護しタランティーノを批判しているが、世代の違いと言ったらそれまでかもしれない。

 ボブダノヴィッチの『インタビュー ジョン・フォード』で、フォードはサーズデー中佐とその部下について、たとえおかしな上官のおかしな命令でもそれに従うことが正しい、ベトナム戦争もそうであるべきだ、という主旨のことを言っている。

 だがベトナム戦争以下の世代にとってはこうした発言は到底承服しがたい。上官の命令が間違っているならそれを覆すまで抵抗することが大切なのだ。事実、ジャーナリズムや反戦運動が戦争を止めたのだし、止めなければ自分の命もベトナム人の命も無駄になってしまうのだ。フォードにも先住民側の視点は描かれているが、いくら悲哀がにじみ出ているとはいえ最後のジョン・ウエインの戦死の美化ともとれる台詞はナイーヴに聞こえてしまうのである。

 というわけで蓮實重彦が「時代遅れの「道徳的な義務感」」と呼ぶものは時代遅れでも何でもない。ベトナム戦争以降、極めて重要な基本的原則だ。原題の諸問題をジョン・フォード的に描けるわけがない。

 

 といっても現代の価値観で「忠臣蔵」を「古き因習」と批判するのがバカげているのと同様、ジョン・フォードの映画もその時代の優れた作品として鑑賞することは意味のあることだ。

 ジョン・フォードも出演したことで知られるD・W・グリフィスの『国民の創生』までは「時代遅れの「道徳的な義務感」」のせいか、まだ見られずにいるが。

【分かりにくい英語】If I didn't know where they come from, I'd think they was phony.

否定形とか仮定形の取り違えによる解釈の勘違い、よくありますよね。

慣れるしかありません。

 

闇市の宝石商が強盗犯が持ち込んだ多数の宝石に対して一言。

If I didn't know where they come from, I'd think they was phony.

(この宝石の出どころを知らなかったら、偽物だと思ったよ)

 

宝石商は大富豪から盗んだ宝石だと知っていてのセリフなので、宝石商は本物だと分かっています。豪華な宝石がこれだけたくさんあることに驚いているんですね。

だから「本物とは信じられないほどすごい宝石だ」と言いたいんですね。

 

いやあ、1回聞いただけでは分かりませんねえ。

 

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占領下のフランス②ナチスを焼き尽くせ(『イングロリアス・バスターズ』)

 

  ナチス占領下のフランスを舞台にしたハチャメチャな復讐ドラマ。ナチスに復讐する連合軍の秘密部隊「イングロリアス・バスターズ」(ブラッド・ピットイーライ・ロス他)の活躍がメインのプロットとしてあるが、今回取り上げるのは、ナチスに家族を皆殺しされたユダヤ人女性ショシャナ(メラニー・ロラン)の復讐劇。


 何とか生き延びたショシャナは農村からパリに潜伏し、映画館で働いている。そこに、ナチスの首脳陣が集まってドイツ軍のプロパガンダ映画『国民の誇り』をプレミア上映する、という話が舞い込む。復讐を狙う身としては願ってもないチャンス。ショシャナは『国民の誇り』のフィルムに細工を施し、ナチスを待ち受ける…。

 

 ここからネタバレ注意。
 『国民の誇り』は連合軍250人を狙撃したドイツ兵の活躍を映画化したものだが、ショシャナはその終盤を勝手に編集し直し、いきなり自分のどアップのショットを挿入する。そして、どアップのショシャナはナチスの首脳陣たちに、「お前たちは全員死ぬ。最後にこのユダヤ人の顔をよく見るがいい!」と叫び、高笑いする。映画を国民の戦意発揚の道具に使ってきたナチスの首脳陣たちの「人生最期の映画」が、奇しくもユダヤ人からの死刑宣告になってしまったというわけだ。
 逃げ惑うナチス。会場に響き渡るショシャナの笑い声。映写機から投影された映像が、館内を包んだ白煙に映り、笑い続けるショシャナの顔がモコモコと変形。不気味なことこの上なし。

 

 ショシャナにとって、プレミア上映は一世一代の大勝負。いよいよナチスとの決戦に挑むというとき、ショシャナは入念に化粧をする。
 いにしえの時代から人類は戦闘に挑むとき、不安を制御し呪術的な力を得るために化粧を施してきた。ショシャナが赤いチークを両方の頬に引いたとき、これから狩りに出ようとする未開の民族のような雰囲気が一瞬漂う。

 

 ここで驚いたのはBGMの使い方。いよいよクライマックス、という場面でいきなり1980年代前半の「レッツ・ダンス」のころのデヴィッド・ボウイの曲「キャット・ピープル」がかかるのだ(使われているのはジョルジオ・モロダーとの共演版)。時代考証もこれまでの音楽との整合性もムチャクチャ。かなり唐突なのでびっくりしたが、よくよく後で調べると、「キャット・ピープル」は、

 

And I've been putting out fire
With gasoline
(おれは愛の炎を消そうとしている
 ガソリンで)


という歌詞で、恋愛ドラマも含んだショシャナの心境とちゃんとつながり合っていたことが分かった。奇才タランティーノが奇才である所以だ。

 

 『イングロリアス・バスターズ』は日本国内ではタラちゃんのハチャメチャ映画みたいに宣伝されていたが、デヴィッド・ボウイしかり、いろんな部分でいろんな映画やいろんな史実とつながっていて味わい深い映画になっている。
 東浩紀的にいうと『イングロリアス・バスターズ』はいろんな(広義の)オタクたちがいろんな「データベース的消費」を楽しめる屈指の映画にできあがっていたのだった。

占領下のフランス①豚肉50キロを持って縦断(でも邦題は『パリ横断』)

 

 

La Traversée de Paris

 『パリ横断』(1956年フランス、クロード・オータン=ララ監督)は占領下のパリが舞台。
 失業中のマルタンブールヴィル)が闇市の仕事を引き受け、街で出会ったグランジル(ジャン・ギャバン)という男と豚肉を運ぶ話。この2人の珍道中が面白い。

 グーグルマップによると、オーステルリッツ駅にほど近いポリヴォー通り45番地(5区)からモンマルトルのルピック通り(18区)までは約7キロ、徒歩で1時間半ほどかかる距離。これを1人50キロの豚肉を持って運ぶのだから結構な労働だ。

 

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『パリ横断』のルート

 

 (地図を見れば一目瞭然だがパリを北上するルートなので、厳密に言うと『パリ横断』という邦題はおかしい。『パリ縦断』だ)

 「闇市がどんなものか知りたい」という興味本位だけで仲間になった裕福な画家グランジルと、生活が懸かっているマルタンの漫才のような掛け合い。ルイ・ド・フュネスも出番は少ないが強烈な印象。ナチスの圧政にあえぐ庶民の悲劇でありながら笑いどころ満載の喜劇でもある。

 クロード・オータン=ララと言えばフランソワ・トリュフォーに酷評された旧世代の監督だが、スタジオ中心の撮影がこの作品では功を奏している。
 灯火管制下の薄暗いパリの夜が独特の雰囲気を醸し出している。光と影の使い方が秀逸。特に終盤のあのシーンはびっくりした。暗闇に包まれたパリはブラッサイの『夜のパリ』を想起させる、無機質な美しさだ。
 音も面白い。静かなパリに足音がコツコツと響く。これも人工的で無機質な感じでいい。

Frances: Undateable?「フランシス・ハ」

 「あのタランティーノ監督が"2013年の映画ベスト10"に選出!」というのもむべなるかな、「フランシス・ハ」は傑作だ。

 

  

 

ロメール2.0

 フランス映画へのオマージュあふれる、という部分もツボだが、それ以上にグレタ・ガーウィグ演じるフランシスの魅力&愛嬌に尽きる!

 デヴィッド・ボウイの「モダン・ラヴ」で主人公フランシスを走らせるのはレオス・カラックスの「汚れた血」のドニ・ラヴァンへのオマージュだが、どちらもほとばしる刹那の青春を感じさせる。

 アラサー女性の彷徨ストーリーはエリック・ロメール的。だが数々の引用にもかかわらず鼻につく感じは全くなく、むしろよりよい形でフランス映画の遺産がアップデートされている。「ロメール2.0」といったところか。

ソフィーについて

 フランシスの親友ソフィーを演じたミッキー・サムナーは、なんとスティングの娘。

 字幕の字数制限からはみ出したところをちょっと見てみたい。

 レヴとベンジーにソフィーについて説明する場面。

Well, we're best friends. She's been to my house for Christmas three times.

(ソフィーとは親友同士なの。クリスマスに3回うちに来た)

Why doesn't she go to her own house?

(ソフィーは実家に帰らないの?)

She's Jewish.

(彼女、ユダヤ系だから)

  この会話が気になって調べるまで、ユダヤ系がクリスマスを派手に祝わないということを知らなかった。

 逆に、ニューヨークに関してもっと知識があるとこういう映画をもっと楽しめるのだろう。

 

非モテ系(undateable)

 この映画で何度も登場する「非モテ」というキーワード。

 原語では「undateable」と言っている。

 フランシスが「愛がなきゃ(セックスはダメ)」とか「私は家から出るのも億劫。ヴァージニア・ウルフの小説みたい」などと言うたびにベンジーがからかい半分で「Frances: undateable.(非モテ確定/恋愛対象外)」と繰り返す。

 フランシス本人もプルーストを原書で読みたいと言った後で「Undateable.(恋が遠のく!)」と冗談めかして使っている。

 ズボラで行動が非合理的。確かに現実世界にいるとundateableだが美しいスクリーンで見るとものすごく魅力的に映る。それがFrances Haだ。

ごきげんななめのてんとうむし(The Grouchy Ladybug)の単語帳

 

The Grouchy Ladybug Board Book

The Grouchy Ladybug Board Book

 

 

ごきげんななめのてんとうむし

ごきげんななめのてんとうむし

 

 

 

grouchy

【形】
〈話〉機嫌の悪い、不平ばかり言う

ladybird

《昆虫》テントウムシ◆【同】ladybug ; ladybird beetle
〈俗〉浮気な女、移り気な女


aphid

《昆虫》アブラムシ
◆【同】plant louse
発音éifid


stag beetle

《昆虫》クワガタムシ

 


praying mantis

《昆虫》カマキリ


boa constrictor

《動物》ボア・コンストリクター、王ヘビ、ボア
◆南米の大蛇。獲物を締め殺してから飲み込む。

 


screech

【自動】
甲高い声[金切り声・悲鳴]を上げる、〔ブレーキなどが〕キーッと鳴る
【名】
荒く甲高い音、金切り声